有機リン系殺虫剤の開発
有機塩素系農薬がほぼ禁止になった頃から、比較的分解しやすい有機リン系農薬が主要な殺虫剤として使われるようになりましたが、もともとその開発・合成は古く、有機塩素系農薬と併行して使用されてきたのです。有機リン系殺虫剤の開発中に製造されたのが、類似構造を持つサリン、タブン、VXガスなどの高毒性の毒ガスで、殺傷効果が高いために、極秘裏に軍需用とされました。VXガスは、2017年北朝鮮の金正男の殺害に使用され、接触しただけで直ぐに死に至る急性毒性の強さに注目が集まりました。
有機リン系の作用と毒性
有機リン系殺虫剤は、神経伝達物質アセチルコリンの分解酵素を阻害します。アセチルコリンを介した神経伝達系は昆虫だけでなく、人間でも末梢神経から中枢神経、さらには多様な臓器においても大変重要です。アセチルコリン系の重要性については、9章で詳しく説明しますが、有機リン系殺虫剤の標的であるアセチルコリン分解酵素は、昆虫と人間でもよく似ているため、人間にも急性毒性が強いのです。特に初期に多用された有機リン系パラチオンは、人間への毒性が強く事故も多かったため、1970年頃に農薬登録が失効して使用されなくなりました。その後、毒性が比較的弱い有機リン系農薬が多種類開発され、主要な殺虫剤として多量に使用されてきました。しかし有機リン系はアセチルコリン分解酵素阻害以外の毒性もあり、急性毒性だけではなく、慢性毒性や有機リン独特の遅発性神経毒性が問題になってきました。
北里大学・石川哲は1978年、有機リンの慢性中毒について論文を出し警告しています[石川哲. 有機リンの慢性中毒. SCIENTIFIC AMERICAN. 1978;1:68-82.]。有機リン系の慢性、遅発性の詳しい毒性メカニズムは未だに不明な点もありますが、鬱病など精神疾患との関わりや、化学物質過敏症発症とも関わることが専門家から指摘されています。
さらに最近では、低用量でも有機リン系殺虫剤に曝露した子どもは、IQの低下、脳の発達の遅れ、ADHDなど発達障害を起こしやすいなどの研究報告が増えています[3]。様々な人間への毒性報告から、EUでは有機リン系殺虫剤はほぼ使用しておらず、米国でも使用を制限してきています。日本でも一時より使用量が減っていますが、未だに他の種類の殺虫剤を抜いて、有機リン系が一番多く使用され続けており、健康被害、特に子どもへの影響が懸念されます。
参考:紺野信弘 有機リン系およびジチオカーバメイト系化学物質の神経毒性 日衛誌(Jpn.J.Hyg.),57,645-654(2003)
神経伝達物質アセチルコリンを介した神経伝達系とそれを阻害する有機リン、ネオニコチノイド
2018年、米国、カナダの研究者らが有機リン系農薬は子どもの脳発達に危険と警告
米国、カナダの研究者らが公的勧告を発表
胎児期や発達期の子どもの脳発達に有機リン系農薬の曝露は低濃度でも危険で避けるべき
Organophosphate exposures during pregnancy and child neurodevelopment: Recommendations for essential policy reforms
Irva Hertz-Picciotto , Jennifer B. Sass, Stephanie Engel, Deborah H. Bennett, Asa Bradman, Brenda Eskenazi, Bruce Lanphear, Robin Whyatt
Plos Medicine: October 24, 2018 https://doi.org/10.1371/journal.pmed.1002671
米国、カナダの研究者らが公的勧告を発表
胎児期や発達期の子どもの脳発達に有機リン系農薬の曝露は低濃度でも危険で避けるべき
概要の和訳
・ 害虫対策のための有機リン系農薬の幅広い使用は、人間にも広範な曝露を起こしている。
・ 高濃度の有機リン系農薬の曝露は、中毒や死亡を引き起こしており、特に開発途上国では事例が多い。
・ 低濃度の有機リン系農薬の曝露は子どもの認知や行動に異常を起こし、神経発達異常を起こすことは、説得性のある科学的事実により明らかになっている。
世界中の子ども達を有機リン系農薬の曝露から守るために、私たちは以下のことを提案する。
・ 政府はクロルピリホスを含む有機リン系農薬を廃止し、人間への曝露が予想される農業廃水などを監視し、農薬の使用を極力減らしたIPM(Integrated Pest Management 総合的病害虫・雑草管理)を推進するべきである。IPMではアグロエコロジー(持続可能な農業システム)を推進し、農薬が引き起こす疾患の監視を行っていく。
・ 有機リン系農薬の有害性、危険性に関する専門的な教育カリキュラムを、医療教育や医療関連教育コースで行い、患者や一般にも有機リン系農薬の危険性について教育を進める。
・ 農業では、病害虫の管理をIPMにより毒物を使わない方法を開発することを進め、労働者の安全を、トレーニングや毒物があった時の防御法などにより進めていく。
当センターよりのコメント:有機リン系農薬は脳発達に悪影響を及ぼし、自閉症スペクトラム症やADHDなどのリスクを上げると警告。有機リン系以外の農薬、ピレスロイド系も脳発達に悪影響を及ぼすと明記。ネオニコチノイド系については、ハチや生態毒性が高いこと、ヒトの脳への悪影響の可能性もあると示唆。農薬の使用はは極力減らしてIPM総合的病害虫・雑草管理を進めるべきと提言している。